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三笘薫と田中碧は鷺沼小学校出身で幼馴染!小学校時代の伝説エピソードまとめ

12月2日、日本時間午前4時「FIFAワールドカップカタール2022」日本対スペイン戦が開催されました。

日本は強豪スペイン相手に2対1で勝利!!

ゴールラインぎりぎりの折り返しアシストをした三笘薫選手と、逆転ゴールを決めた田中碧選手に「鷺沼兄弟エモい」「幼馴染とか泣ける」と2人の関係性に大きな注目が集まっています。

この記事では

  • 三笘薫と田中碧は鷺沼小学校出身で幼馴染
  • 三笘薫の小学生時代伝説エピソード
  • 田中碧の小学生時代伝説エピソード
  • 三笘薫と田中碧|お互いについて語る

についてまとめました。

ぜひ最後までお読みください。

目次

三笘薫と田中碧は鷺沼小学校出身で幼馴染だった!

三笘薫(みとまかおる)選手と田中碧(たなかあお)選手は共に

川崎市立鷺沼小学校(かわさきしりつさぎぬましょうがっこう)

の卒業生で、「神奈川県川崎市宮前区」の同郷です。

川崎市立鷺沼小学校は、神奈川県川崎市の閑静な住宅街にある小学校で、東急田園都市線の鷺沼駅が最寄りになっています。
2人とも鷺沼小学校を卒業して、川崎市立有馬中学校に進学しています。

三苫薫選手1997年5月20日生まれ
田中碧選手1998年9月10日生まれ

なので、2人は1学年先輩後輩の関係になります。
鷺沼小学校で1学年違いの2人が、プロになって活躍したことから、川崎フロンターレのサポーターが親しみを込めて

鷺沼兄弟

と呼び始めました。

三苫選手、田中選手は共に小学校の卒業アルバムで将来の夢について

日本代表になる

と書いています。

実際に日本代表になって同じ試合に出場し、息の合ったプレーで生み出したゴールが、優勝候補スペインを撃破することになるとはかっこ良過ぎます!

スペイン戦の後には、SNSでは「リアルキャプテン翼」「鷺沼兄弟が無敵艦隊を撃破」「ちびまる子ちゃんと大野くんと杉山くんの将来」「事実はフィクションを超える!」といった感激の声が多数寄せられました。

メキシコ紙「エル・シグロ」は「三笘と田中よる抱擁の裏話」と見出しを打って取り上げ、海外メディアでも2人の深い関係性が注目されています!

三苫薫の鷺沼小学校時代|伝説エピソード

3歳上の兄の影響でサッカーを始め、幼稚園時代はスクールにも通っていました。
小学生2年生の時に地元の強豪チーム『さぎぬまSC』に入り、本格的にサッカーに取り組むことになります。

その後9歳の時、『川崎フロンターレユース』に加入。
小学4年生が中心となって選ばれるセレクションに、3年生で選ばれたそうです。
そして、高校卒業まで川崎フロンターレの下部組織でプレーし続けました。

さぎぬまSCでの「ゲーゲンプレス伝説」

ゲーゲンプレスとは、相手にボールを奪われた瞬間にプレスをかけボールを奪い攻撃に転じる戦術のこと

小学2年生8歳の時、チームの主軸となっていたFWの子がボールを奪われた瞬間に

いけると判断したら即座に奪い返して攻撃に転じる

いけないと判断したらすぐに自陣に戻って守備につく

といった攻守の切り替えの重要性を理解していたというのです。

さぎぬまSC代表の澤田秀治氏は以下のように述べています。

「当時の薫をみて、『小学2年生でこんなことができる子なんて、今までいなかったよね!』と我々は驚いていました。とても冷静に状況判断できていたということでしょうし、そういう意味で、彼はあの頃から本当にすごい子でしたね」

shueisha.online

小学2年生にして、冷静に判断しそれをプレーに反映することのできた三笘選手は、凄まじいサッカーIQの持ち主だったといえるでしょう。

川崎フロンターレユースでの「止められない三笘薫伝説」

三笘選手は、常に1学年上のチームで試合に出ていたそうです。

ドリブルで相手を抜いていくスタイルで、ジュニアの頃から相手を止めてずらす、重心を見ながら駆け引きするプレーをしていました。

試合中、ドリブルでボールを奪われても簡単には折れず、仕掛けるのを止めないので、チームメイトから「パス出せよ!」と言われることもあったといいます。

自分の信念を突き通す頑固さと目標に向かって取り組む責任感があり、とても負けず嫌いでした。

JFA

小学5年生時にはFIFA公認の国際サッカー大会でU-12年代の世界一を決めるダノンネーションズカップに出場し、6年生時には全日本少年サッカー大会にも出場しています。

個人練習ではとにかく1対1の練習を熱心に行っていたそうで、「止められない三笘薫伝説」を残した小学生時代に納得ですね。

田中碧の鷺沼小学校時代|伝説エピソード

幼稚園の時にサッカーを始めたのがきっかけで、小学校入学と同時に地元の『さぎぬまSC』に入団。
小学校3年生で『川崎フロンターレのユース』に進みました。

田中碧選手は『さぎぬまSC』について以下のように話しています!

本当に地元密着型というか、サッカーの楽しさを教えてくれていて、素晴らしいクラブだなと思います。

KAWASAKI FRONTALE

さぎぬまSCでの「5歳児田中伝説」

田中選手がまだ5歳だったころ、幼稚園児向けの体験会に参加しました。

練習に参加した田中選手は

こんな練習はつまらないよ。
もっと難しい練習がしたい!

と言って泣いたそうです。

ご本人は覚えていないそうですが、小さい頃から

  • 1番になりたいという気持ちをもって取り組んできた
  • 当時は基礎的な練習が好きではなかった
  • とにかくゲーム(試合)の方が好きな子供だった

ということで、そういった言葉が出たのかもしれないと自己分析していましたよ!

さぎぬまSCでの「伝説ハットトリック」

川崎フロンターレのユースに進むため、さぎぬまSCでお別れ試合をした際には、神奈川で一番強いというチームとやったそうです。
普段だったらさぎぬまSCがボコボコにやられてしまうような相手。

しかし、田中選手にとって「さぎぬまSCの仲間とやる最後の試合」ということで最初から爆発。前半1点取って、相手に2点取られて、でも後半まさかの2点を取り、最終的に4-2で勝利を収めたそうです。

田中選手はハットトリックの大活躍でした!

どんなに強い相手でも、緊張せずに自分の力を最大限発揮することができる田中碧選手は、小学3年生にして器の大きさを見せてくれていたのですね!

三笘薫と田中碧はお互いにとって唯一無二の存在

田中選手は三笘選手に対して

  • 常に自分の前を走っているから、追いつこうしているだけ
  • 常に上を目指すきっかけをもらっている
  • ありがたい存在
  • 選手としても友人としても仲良くさせてもらっている

三笘選手は田中選手に対して

  • 顔も似ているって言われるし、家も近いし縁がある
  • 碧が活躍しているからこそ、大学時代負けたくないと思っていた
  • 近い存在が上に登っていくのが刺激になって、後押ししてくれた

と述べています。

さぎぬまSCという入団テストがない地域密着型のサッカークラブから始まった2人の関係。

幼い頃から世界に羽ばたくまで共にサッカーに向き合ってきた2人には固い絆があり、お互いにとって唯一無二の大切な存在といえるのではないでしょうか。

まとめ

この記事では

  • 三笘薫と田中碧は鷺沼小学校出身で幼馴染
  • 三笘薫の小学生時代伝説エピソード
  • 田中碧の小学生時代伝説エピソード
  • 三笘薫と田中碧|お互いについて語る

についてまとめました。

三笘選手と田中選手の小学校時代に注目してみると、改めて世界に羽ばたくスポーツ選手というのは子供の頃から一味違うということが分かりましたね。

今後の活躍も大いに期待しましょう!

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